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99のなみだ
香山
子供の臨床経験の中で私が一番興味があったのは、
コミュニケーション能力や知的水準の非常に低い子供、
ほとんど文字を読めないような発達障害の子供が、
私も苦労するようなロールプレイングゲームをあっという間に解いてしまう。
もしかしたらゲームをプレーするというのは、
私たちが普段使っているのとは違う回路なんじゃないかと思うくらい、説明不可能な事例がたくさん出てくる。
だから「ゲームの処方箋」のプロジェクトが立ち上がったと聞いた時、じつはひそかに期待をしていたんですよ。
一昨年、オックスフォード大学に行った時に
日本語研究科の学生と話したんですが、
やっぱり日本語を習う前から『ファイナルファンタジー』なんかをやってたという。
渡邊
僕も学生時代にタイに旅行した時、
マーケットで子供たちが『ドラクエ』をやってて、
もちろん日本語版です。
僕が日本人だと見ると、教えてくれと。
子供にとってはゲームはユニバーサルなものかもしれないなと。
香山
それは、ゲームが古いものだからか、
新しいものだからなのか、どっちなんでしょう? 
たとえば、ユングがいうような物語のアーキタイプ
ゲームに内在しているとか、
ロールプレイングゲームやシューティングゲームは
人間古来の戦いの一種だから、万国共通なのか。
あるいはゲームという新しいテクノロジー、
デジタル的な特性に起因するのか。
渡邊

全くの直感ですが、古いものじゃないかと感じています。
ゲームに対するアンビバレントな感情も、
その古さに根ざしているのかも。
何かを達成するためにやるというよりも、やったあとに
「またやっちゃった」みたいな感情を引き起こす構造が、
ゲームだけでなく、遊びの基本にあるんじゃないかな 。